大和電機工業株式会社ヒストリー

平成16年度、おかげさまで弊社は満60周年を迎えることができました。
ここでは、大和電機工業の60年にわたるヒストリーの概要と、
日本の電子の時代を振り返ります。

 

昭和20年代~30年代

戦後復興から高度成長期へ

本社工場と社用車(ダットサン)
本社工場と社用車(ダットサン)
(下諏訪駅前 現社長宅)
【昭和30年代】

 

本社工場裏

本社工場裏
【昭和30年代後半】

「すぎのみ」3号の表紙
「すぎのみ」3号の表紙

 

昭和19年、長野県諏訪郡下諏訪町にて創業。
「すぎのみ」(写真左)は、昭和34年に誕生した社員全員が参加する
「杉の実会」の会誌として発行された、現在の社内報の原型です。

会社に現存するものは創刊から第3号まで。

3号ではおそらく社員全員が寄稿しているのだろう。

内容は社員一人一人が思い思いの事柄を綴った

文集が掲載されています。

花咲町工場地鎮祭

花咲町工場地鎮祭
【昭和35年頃】

最初の会社案内表紙

最初の会社案内表紙
【昭和41年(1966年)頃】

 

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昭和40年代~

メカトロニクスの時代

電子工学と機械工学が融合して、新しい電機製品が登場しはじめた時代です。
メカトロニクス製品の典型的なものは、
カメラ、デジタル時計、コピー機、計算機、自動販売機、プリンタといったものです。
当社も、これらの商品向けに、これらの商品を構成する、抵抗器、コンデンサ、IC部品関連の加工が増えはじめました。

 

創刊号の表紙
創刊号の表紙

 

社内スポーツ大会

社内スポーツ大会
【昭和40年代前半】

 

昭和40年(1965年)に、社内報「やまと」第1号が創刊した。
12頁には、この年の社内6大ニュースが掲載されている。それらからは、今の大和電機の基礎となる、大いなる時代の動きを感じ取ることができる。記事によれば、「海外市場開発のため原槇廣社長アジアへ視察旅行」、「1億円生産工場の体制整う」、「アメリカ特許ユージーライト半自動メッキ装置稼動に添う自動化完備」、「下諏訪矢木西工場創設」、「多管式ボイラー1基新設」、「高松宮杯全日本軟式野球大会において当社野球部活躍」が挙げられていた。

 

 

復刊号の表紙
復刊号の表紙

 

成人式

成人式
【昭和47年(1972年)】

 

昭和40年に創刊されて以降しばらく発行がなく、この年「復刊号」と称して社内報「やまと」の発行がされ、以降継続化していく。
初期の「やまと」は二つ折りで、現在の製本型には1981年頃から変換されている。 この頃の「やまと」には社内の出来事だけでなく、社会記事やエッセイ、金融の話のような一般新聞的な要素も盛り込まれている。

 

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昭和50年代~

電子部品の進歩

部品技術が進歩し、さらにICが集積化したLSIが開発されました。
また、電子部品は小型化し、チップ部品が実装されはじめました。 電気製品の自動化が進み、全自動洗濯機、エアコン、マイコン炊飯器、マイコンミシン、留守番電話、ワープロなどが商品化されました。また、映像・音響機器でも家電化が進み、ビデオ、ビデオカメラ、シンセサイザ、テレビゲームが商品化されました。Auめっき商品が増え始めた時代です。

 

昭和52年9月号の表紙
昭和52年9月号の表紙

 

社員旅行

社員旅行 東尋坊
【昭和55年(1980年)】

 

当社60年の歴史において、本社所在地は何度も変遷している。
創業時は、現社長宅のある下諏訪町富士見町(下諏訪駅付近)から始まり、下諏訪町花咲町(旧下諏訪工場)、本社工場(現下諏訪事業所)、そして現地へと移動してきた。
ただ、大和電機工業は創業以来常に「下諏訪町」の企業であり続けてきた。現在の本社社屋は、生産業務でなく、(下諏訪事業所分室は除く)当社の主産業である表面処理業はすべて町外事業所で生産している。

昭和60年代~

昭和61年10月号の表紙
昭和61年10月号の表紙

 

新入社員フォローアップ研修

諏訪湖ハイツにて新入社員フォローアップ研修
【昭和62年(1987年)】

 

表面処理業のかつての一般的なイメージは、「前掛け」「長靴」と言われてものだが、昭和50年代ころより、「床に一滴の水も落とさない」工場環境を整える中、制服が「汚れること」が前提であった「作業着」から、汚さない「上着(ジャケット)」へと変わってきた。
そして、色やデザインも変わり、最近では、個人の好みで色を選べるようにもなっています。

 

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平成元年~

マルチメディアの時代

LSIの集積化が進み、コンピュータの家庭への普及が始まりました。また、携帯電話の小型化、低価格化が進み、急激に普及しました。 これによって、音声、映像、画像、文字といったメディアの処理能力が飛躍的に向上し、これらの複数のメディアを同時に用いるマルチメディアという新しい産業が開花しました。典型的な例がインターネット、ソフト産業です。ミクロン単位での管理要求の商品が増え、加工製品のほとんどが電子関連の機能めっきになりました。

 

活動特集号の表紙
平成元年 A.Q.E '89~'91
活動特集号の表紙

 

東京浅草にて 松本事業所

東京浅草にて 松本事業所
【平成6年(1994年)】

ヤマトテック年越し蕎麦振る舞い

ヤマトテック年越し蕎麦振る舞い
【平成9年(1997年)】

 

レクレーションボウリング大会 下諏訪事業所

レクレーションボウリング大会 下諏訪事業所
【平成9年(1997年)】

平成に入ると、YCS("大和コンピューターシステム"の略の導入による数値管理が定着することで、明確な目標管理が始まりました。 これは、会社だけでなく部署、個人が明確な目標数値を設定し、各自が改善を積み上げていく活動。
そして、結果も数値管理によって明確に評価されるようになりました。これらの活動は、現在は「アタック20」「Good-By2作戦」と名前を変え、積極的に改善活動が推進されています。

 

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平成10年代~

デジタル化・ユビキタスの時代

CPU、メモリー製品の高速化、集積化、また記憶媒体の高容量化が進み、あらゆる商品のデジタル化が急激に進んでいます。また、微細化技術はミクロンからナノスケールに進み、デジタル化の高速処理技術と相乗的に進歩しています。更に、医療、エネルギー、環境といった分野との融合がはじまり、バイオエレクトロニクス、燃料電池、ロボット、MEMSといった産業が開花しつつあります。

 

改善活動の表彰式 下諏訪事業所
改善活動の表彰式 下諏訪事業所
【平成11年(1999年)】

 

かりんの収穫 本社

かりんの収穫 本社
【平成12年】

お舟祭り時代行列

お舟祭り時代行列
【平成12年(2000年)】

 

横浜にて 諏訪事業所

横浜にて 諏訪事業所
【平成14年(2002年)】

さくらんぼの木 ヤマトテック

さくらんぼの木 ヤマトテック
【平成14年(2002年)】

 

 

環境ISO14001の取得は、平成12年3月の出来事である。
当社は表面処理事業を機軸にしている定めとして、永年「環境」については、事業推進における重要なテーマであった。環境ISO取得以前からも、環境貢献として、特に緑化については社内では標準的に取り組んできた活動である。 また、「床に水を一滴もこぼさない」という精神は、工場の近代化と共に推進され、現在は「大清水作戦」と活動の名前を変え、工程内環境維持活動に努めている。

 

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